2013年5月12日日曜日

ひさびさにこじらせた


今日Twitterで久々にこじらせてしまった。
モラトリアムがどーこー的な飲み会をしようかなってツイートが発端だった気がする。


友人からは「高学歴のなんちゃってモラトリアム野郎が〜」と煽られたり、先輩には「おまえなんかになにがわかるねん」みたいなことを言われたりしたけど、でもこんな俺でも人並みに悩むことはあるっていうね。そういう日もあるよ。




で、自分のコンプについて考えてみたのだが。

「進学校にいくもだんだん落ちこぼれていって、努力する友人らを横目に「まあ俺はクズだしwwww」って自分に言い聞かせるんだけど、結局は「もし努力していればどうなっただろう?」って可能性から目を閉ざして逃げているだけ」

ってツイートしたんだけど、たぶんこういうことだ。


いまのクズなモラトリアムこじらせた自分も好きなんだけどね。ただちゃんと努力してありえた可能性を考えると、たまに。
日本帰ったらできることからちょっとずつ頑張ろうと思う。




あと自分の辛さが他人の辛さを超えていたって、他人のそれを否定することは誰にも出来ないと思うのでした。
社会人になっている友人は友人で「うまくやっていけるかな」って思っているだろうし、優秀な友人は友人で「もっと上に行きたい」って焦っているだろうし。
別に「お前よりも俺の方が辛い」っていう不幸自慢したいわけじゃなくて、「まあお互いいろいろ辛いよね。どーしたもんかね」ってだけ。




あと地理少年からはこんなの教えてもらった





根本的に今の大学と大差ないですね。まずはほどほどに学問をしながらお気楽なモラトリアム期間を楽しくすごし、卒業が近づくと社会に出るべく心の準備を始めて、就職とその後の生活はたいてい平凡といったところです。もちろん、当時は今ほど大学が大衆化している時代ではありませんでしたから、学生の学力そのものはとても高かったと思います。でも、やってることを見るかぎり、「楽しく悔いなくモラトリアムを過ごすこと」がどうやら学生の本分なんだな、と思えてきました。



あーほんとこれ。「楽しく」はもう十分やったので、あとは「悔いなく」をしっかりできるかどうかだな。

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